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文久2年閏8月23日(1862.10.16)
【京】島津久光、帰国のため京都出立。
【江】幕政改革による失業者の生計方法を議論、大奥改革の議論

■久光退京
【京】文久2年閏8月23日、薩摩藩国父島津久光は帰国のため京都を出立しました。

勅使大原重徳とともに率兵して江戸に赴き、幕政改革に端緒をつけた久光でしたが、京都に戻ったとき、政局は一変して尊攘急進派派に有利となっていました。巻き返しをはかりますが、成功せず、この日の帰国となりました。

参考:『徳川慶喜公伝』2(2003.10.20)
関連:■テーマ別「勅使大原重徳東下」 「公武合体派勢力の後退と島津久光の退京」薩摩藩日誌文久2年

■幕政改革へ
【江】文久2年閏8月23日、幕府は改革による失業者の生計方法や大奥改革を議論しました。

前日、幕府が発表した改革令(こちら)では、大名の登城の際の従者を減らすことが含まれていました。これによって、大きく影響を受けるのが臨時雇いの足軽・中間ら(続再夢紀事では「日雇奴隷」とされています)で、失業者は約4万人になるだろうと見込まれていました。この日、幕閣は彼らの生計方法について議論しました。

また、この日、大奥の人数削減が議題に上りました。しかし、大久保忠寛(一翁)が<大奥の改革は頗る難事であるので、幕府からどれだけ削減するかを指定せず、御側御用取次を通して天下の大勢を老女に説明し、その上で老女から天院の意見をきくべきだ。大奥三千の女性のうち、天院を超える人物はいないので、必ず実効を得るだろう>と提案したそうです。

参考:『続再夢紀事』一、『徳川慶喜公伝』2(2003.10.20)
関連■テーマ別文久2「「幕政改革問題」 ■「開国開城」「勅使大原重徳東下と文久2年の幕政改革


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